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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)192号 判決 1993年1月19日

上告人 関光子

被上告人 亡加藤淳遺言執行者小島謙太郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人○○○○、同○△○○上告理由について

一  原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  亡加藤淳の法定相続人は、いずれも妹である上告人らだけであったが、後記の本件遺言がされた時点では、淳と上告人らとは長らく絶縁状態にあった。

2  淳は、昭和58年2月28日、被上告人に遺言の執行を委嘱する旨の自筆による遺言証書(以下「本件遺言執行者指定の遺言書」という。)を作成した上、これを被上告人に託するとともに、再度その来宅を求めた。

3  淳は、同年3月28日、右の求めに応じて同人宅を訪れた被上告人の面前で、「1、発喪不要。2、遺産は一切の相続を排除し、3、全部を公共に寄與する。」という文言記載のある自筆による遺言証書(以下「本件遺言書」という。)を作成して本件遺言をした上、これを被上告人に託し、自分は天涯孤独である旨を述べた。

4  被上告人は、淳が昭和60年10月17日に死亡したため、翌61年2月24日頃、東京家庭裁判所に本件遺言執行者指定の遺言書及び本件遺言書の検認を請求して同年4月22日にその検認を受け、翌23日、上告人らに対し、淳の遺言執行者として就職する旨を通知した。

二  遺言の解釈に当たっては、遺言書に表明されている遺言者の意思を尊重して合理的にその趣旨を解釈すべきであるが、可能な限りこれを有効となるように解釈することが右意思に沿うゆえんであり、そのためには、遺言書の文言を前提にしながらも、遺言者が遺言書作成に至った経緯及びその置かれた状況等を考慮することも許されるものというべきである。このような見地から考えると、本件遺言書の文言全体の趣旨及び同遺言書作成時の淳の置かれた状況からすると、同人としては、自らの遺産を上告人ら法定相続人に取得させず、これをすべて公益目的のために役立てたいという意思を有していたことが明らかである。そして、本件遺言書において、あえて遺産を「公共に寄與する」として、遺産の帰属すべき主体を明示することなく、遺産が公共のために利用されるべき旨の文言を用いていることからすると、本件遺言は、右目的を達成することのできる団体等(原判決の挙げる国・地方公共団体をその典型とし、民法34条に基づく公益法人あるいは特別法に基づく学校法人、社会福祉法人等をも含む。)にその遺産の全部を包括遺贈する趣旨であると解するのが相当である。また、本件遺言に先立ち、本件遺言執行者指定の遺言書を作成してこれを被上告人に託した上、本件遺言のために被上告人に再度の来宅を求めたという前示の経緯をも併せ考慮すると、本件遺言執行者指定の遺言及びこれを前提にした本件遺言は、遺言執行者に指定した被上告人に右団体等の中から受遺者として特定のものを選定することをゆだねる趣旨を含むものと解するのが相当である。このように解すれば、遺言者である淳の意思に沿うことになり、受遺者の特定にも欠けるところはない。

そして、前示の趣旨の本件遺言は、本件遺言執行者指定の遺言と併せれば、遺言者自らが具体的な受遺者を指定せず、その選定を遺言執行者に委託する内容を含むことになるが、遺言者にとって、このような遺言をする必要性のあることは否定できないところ、本件においては、遺産の利用目的が公益目的に限定されている上、被選定者の範囲も前記の団体等に限定され、そのいずれが受遺者として選定されても遺言者の意思と離れることはなく、したがって、選定者における選定権濫用の危険も認められないのであるから、本件遺言は、その効力を否定するいわれはないものというべきである。

三  以上と同旨の理解に立ち、本件遺言を有効であるとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法は認められない。所論引用の大審院判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを非難するか、又は原審の専権に属する事実の認定を論難するものにすぎず、採用することができない。よって、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 園部逸夫 佐藤庄市郎 可部恒雄)

別紙目録<省略>

上告代理人○○○○、同○△○○の上告理由

一 本事案は本件遺言書中の

「2.遺産は一切の相続を排除し、

3.全部を公共に寄与する。」

との条項を如何に解釈するかにある。

原判決は、右条項の解釈について、「遺産は一切の相続を排除し、」との条項は、それに続く「全部を公共に寄与する。」との条項との関連ならびに上告人等が従前より亡淳と絶縁状態にあったもので、遺留分を有しない妹であることなどの事情に鑑み、遺産は上告人等相続人に残すことをせず、その全部を公共に寄与する趣旨を明確に表示したものと解すべきであるとし、

「全部を公共に寄与する。」との条項は、亡淳の遺産全部を国、地方公共団体に包括遺贈する意思(公益的包括遺贈に属する)を表示したものと解し、

遺言執行者指定の遺言は、本件公益遺贈について右の通り定めた受遺者たり得べき者の範囲内において、受遺者の選定を遺言執行者に委託する趣旨を含むものと解するのが相当としている。

そして、本件遺言は本件公益遺贈につき、受遺者たり得べき者の範囲を明確に定めているし、遺言執行者が受遺者を選定するのに困難もなく、その選定が遺言者の意思と乖離するおそれもないとしている。

二 遺言の解釈は、遺言書の文言を形式的に判断するだけではなく、遺言者の真意を探究すべきであり、それには遺言書作成時の事情及び遺言者の置かれている状況などを考慮すべきであることは、原判決指摘の通りである。

(一) ところで、原判決は、本件遺言の解釈にあたって、本件遺言書作成当時の事情及び遺言者亡淳の置かれていた状況など認定説示の事実によればとし、なかでも上告人等が従前より亡淳と絶縁状態にあったことを揚げているが、この認定の証拠となったのは、被上告人が亡淳は「妹が2人おると。ところが今現在絶縁で、私は天涯孤独だと。だから何も心配することはないと。それで何か身内から言ってきた場合に、この遺言書を出せばいいと。おまえ達は別にそんなことは心配しなくてもいいと。」話していた旨を供述している部分のみである。

果たして、これのみで上告人等は、亡淳と絶縁状態にあったと認定できるであろうか。人は、身内との交際があっても本件のごとく他人に遺言書を預ける場合などには、往々にして身内とは絶縁しており、天涯孤独である旨を話すものである。亡淳の右会話のみでは同人が真実を述べたか否かは定かではない。上告人等と亡淳との交際の実情を十分調べずして右供述のみで絶縁状態にあったと認定することは、事実の認定に誤りがあるといわなければならない。

上告人関光子は、昭和42年春頃から緑内障の治療のため○○○病院に通院していたが、病状が進行し同年秋頃からは診療日の前日には亡淳の家に泊り、亡淳の妻よしと一緒に同病院に通院していたのである。また昭和46年には、亡淳の尽力により養護老人ホーム「○○園」に入園することができたのである。右老人ホームに入園してからは、亡淳が死亡するまで電話で安否を尋ねるなど兄妹の絆の切れることはなかったのである(資料1)。

また、上告人山川治子も娘らに亡淳の様子を見に行かせるなど(資料2)、絶縁という状態ではなかった。

上告人等が、亡淳と絶縁状態でなかったことは、昭和61年2月12日付の林万里から上告人等宛の書簡(資料1の別紙3)に、亡淳が上告人山川治子の娘のうち1人を養子にと考えていたこと、祖先の永代供養を上告人等に頼もうとしていたことなどからも、明らかなところである。

上告人等が亡淳の死を知らず、葬儀をも取り行わなかったことをもって、亡淳との絶縁状態を推認しうるとの考えもあろう。しかし、上告人等が亡淳の死を知り得なかったのは、亡淳の死を知らせるべき立場にあった訴外河合明雄及び被上告人が、上告人等の存在を知り乍ら上告人等に知らせようとさえしなかったからである。

(上告人等が亡淳の死を知り、河合明雄に連絡してから、上告人等は被上告人の存在を知った次第であるが、その間後述のごとく被上告人は義弟の有田禎一を解して、亡淳の遺産である不動産(土地・家屋)を売り出していたのである。)

(二) 次に、亡淳は、本件遺言書作成当時、果たして原判決の解釈したごとく相続財産全部を公共に寄与する即ち、公益遺贈する意思があったといえるであろうか。

(1) 証拠を検討すると、

<1> 亡淳は、昭和56年12月頃から昭和57年3月頃にかけ、同人の居住不動産(これが同人の唯一の財産である)を、○○信託銀行不動産部を通じて売却処分し、売却代金の内3億円を○○信託銀行○○支店に預金し、2億円を投資に回す考えでいたこと(甲第11号証の9及び4)。

<2> 本件遺言書を作成したと同じ日である昭和58年3月28日東京都○税務事務所整理第3課田中良夫宛に、固定資産税等の滞納に関しての謝罪と納税についての書簡を送付しているが、右書簡の中で、「現住不動産を換価して1日も早く納税を完了したい」と述べていること(資料3及び甲第11号証の18)。

<3> 亡淳は、昭和58年11月13日に有田禎一との間で現住不動産(土地・建物)を、同人に妥当適正価格で売り渡す旨の契約をし、受領する代金総額は右訴外人の経営する○○地所株式会社に協力出捐する旨を約していること(甲第11号証の19)。

<4> 訴外林万里から上告人等宛の書簡によると、亡淳は昭和58年頃不動産を処分する考えであり、その処分一切を右訴外人に依頼する旨を話し、不動産登記簿謄本を右訴外人に渡していること(資料1の別紙3)。

が認められ亡淳と被上告人及び有田禎一との関係についてみると、

<5> 被上告人と有田禎一とは、被上告人の妻が右有田の実姉であること。

<6> 有田禎一は、昭和56年頃から亡淳の家に出入していたこと(河合明雄の証言)

この点について、被上告人は有田は本件遺言書作成以前には亡淳の家には出入していない旨の供述をしている。しかし、それまで亡淳の家に出入しておらず、単に遺言書作成の際に被上告人に同行したにすぎない者が、その10日後位に、亡淳を自己の経営する会社の監査役に就任させ、手当を支払うであろうか。被上告人の右供述は不自然である。むしろ有田は遺言書作成以前から亡淳の家に出入していたとみるのが自然である。

<7> 亡淳は、昭和58年4月8日に右有田の経営する○○地所株式会社の監査役に就任していること(資料4及び甲第11号証の25)。

<8> 右有田は、亡淳の不動産を処分する権限を取り付けることを条件に亡淳に対し、昭和58年7月頃から毎月10万円を送金しており(資料6及び被上告人の供述)昭和60年1月頃には、亡淳から有田禎一に対し、同人が金融機関から10億円の融資を受けるについて保証人となることを承諾し、その対価として昭和60年1月以降は毎月100万円の監査役手当と50万円の交際費を要求しており(甲第11号証の24)、右手当等の支払いが実行されていること(資料6)。

(2) 右事実及び前記(一)に述べた被上告人等との関係を総合すると、亡淳が本件遺言書作成当時所有していた財産は、亡淳が居住していた建物とその敷地が唯一のものであり、亡淳は自己の居住不動産を売却処分しようとして第三者に声をかけていることが明らかであるから、財産を公共に寄与する意思はなかったものと認められるのである。

(3) しからば何故、本件のごとき遺言書を作成したかである。

(イ) 亡淳は、本件遺言書作成以前から訴外有田禎一との交流があり、同人が不動産売買及び仲介斡旋を目的とする○○地所株式会社を経営していたことから、右訴外人に不動産(土地・建物)の処分を依頼し、あるいは、それを担保に訴外人の受ける融資金の保証をすることによりこれを見返りとして金員を得ることを考え亡淳に万一のことがあったときには右訴外人の義兄である被上告人を遺言執行者にし遺言書を作成してあるから心配ないと右訴外人を安心させ、右訴外会社から監査役手当の名目で金員の支給を受けようと、故意に意味不明の「公共に寄与する」との条項を書いた本件遺言書を被上告人に交付したものと考えられるのである。従って、原判決の判断したごとき、国・地方公共団体に包括遺贈する意思ではなかったものと認められるのである。

(ロ) 亡淳は○○帝国大学独法科を卒業しており、弁護士資格は有していなかったが、日常法律問題に関係する仕事をしていたものであり、「寄与」・「寄附」の区別はついていたと考えられる。

また「公共」が何を意味するか、「公共」のみでは明確でないことも承知して故意に意味不明の条項を記載したものと考える。

亡淳が、真実「公共に寄与」することを考えていたなら、本件遺言書は被上告人の目の前で作成したというのであるから「公共」が具体的に何を指し、何処に、どうすべきかを説明した筈である。

(ハ) 訴外有田禎一及び被上告人が、亡淳の遺産を宛にしていたことは、淳死亡後に同人の不動産が売りに出されていることからも明らかである。亡淳の遺産である不動産を売りに出すことは、被上告人以外にあり得ないことである。被上告人と有田が亡淳の不動産を売りに出したことは、右に述べたごとく本件遺言書を渡され、これをよりどころとして有田が亡淳に対し、自己の経営する○○地所株式会社の監査役とし手当を支払っていたからである。

有田禎一及び被上告人が亡淳の遺産を同人等の手によって換価処分できると考え行動していたことは訴外林万里が、上告人等に宛てた書簡(資料1の別紙3)の中に「本年(昭和61年)1月13日友人(不動産業者)より加藤様の売却物件の連絡を受け」とあること、昭和61年2月22日に上告人関光子の長男が有田禎一と会ったとき、同人から被上告人が書類を預っている旨を聞かされると共に、遺産の土地が約10億円するので、そのうち6億円位を譲渡して欲しいと言われていること(資料1)から明らかな事実である。

(4) 次に「全部を公共に寄与する」との条項の解釈であるが遺言書の文言を形式的に判断するだけでは十分でないことは理解できるとしても、文言自体からの解釈を全く無視することはできないと考える。

(イ) 「公共」とは何かが問題であるが、原判決は「公共」とは何かを判示することなく前記条項は、亡淳の遺産全部を、国・地方公共団体に包括遺贈する意思を表示したものであるとしている。その積極的理由は何も示されていない。原判決認定の事実関係からしても、亡淳が「国・地方公共団体」に遺贈する意思であることを認めうるに足りる事実は何もない。

「公共」とは通常「社会一般」・「おおやけ」と解されており(広辞苑・角川漢和中辞典)、「公共」を国・地方公共団体のごとき団体と解釈するのは、国語自体の誤った解釈である。団体を意識して表現するなら「公共団体」と記載する筈である。亡淳は前述の通り最高学府を卒業しているのであり、この程度の区別を理解する能力は有していた筈である。

原判決が「公共」を、国・地方公共団体に限定していることにも理由が示されておらず、理解しがたいところである。「公共」を仮りに公共団体と解するとしても、国と地方公共団体のみにかぎらない。公共性を有する団体は他にも数多く存在するのである。亡淳は、昭和48年9月10日付の遺言書(甲第11号証の2)で、「妻死去の際は、遺産全部を特殊法人日本赤十字社に寄附し・・・・」と記載している。この点からしても、亡淳が公共団体に自己の財産を遺贈する意思であれば、特定の団体を表示するものと思われる。亡淳がかつて「日本赤十字社」を受遺者として指定した事実からすると同人の意思としては、国・地方公共団体に限定したものではなく、日本赤十字社のごとき団体も含まれていたと認められる。原判決の判断は、遺言者の真意に反した解釈をしているものといわなければならない。

(ロ) 「寄与」とは何を意味するかであるが、「寄与」は「国家や社会に対して役立つことを行うこと」であり「寄附」が「公共事業または社寺等に金銭、物品を送ること」であるのと比べて、その意味を異にするものである。

亡淳が「寄与」と「寄附」との使い分けを意識していたか否かは定かではないが、亡淳は昭和48年9月10日付の遺言書では、特殊法人日本赤十字社に「寄附」しと表現していることからすると、公共団体に遺贈する意思であれば、「寄附」の表現をしたものと認められるのである。

亡淳が敢えて「寄附」とせず、「寄与」としたことは前述のごとく遺産を公共団体に遺贈する意思はなく、従って、故意に曖昧な表現を用いたものと解釈せざるを得ないのである。

それは、本件遺言書が被上告人の義弟である有田禎一から金員を出させることを目的に、被上告人及び有田に対し、単に見せるためのものにすぎなかったのである。

(ハ) 遺言執行者指定の遺言書も、原判決が判示しているごとき受遺者の選定を委託する趣旨を含むものではなく、被上告人等を安心させるためのものである。亡淳には、受遺者の選定を委託する意思など毛頭なかったものである。それ故に、甲第4号証の2の遺言書と乙第1号証の3の遺言書とが表現を異にし、後者は明らかに「遺言執行人と定めます。」と断定的に指定しているが、前者は「遺言の執行を委嘱致したく存じますので何卒よろしく御願い申し上げます」と依頼ないしは申し込む表現をとっており、何かを意図していたと考えられるのである。

(5) 原判決は、被上告人の供述のみによって事実認定を行いこれに基づいて本遺言書は、亡淳の遺産全部を国、地方公共団体に包括遺贈する意思を表示したものと解釈し、受遺者たり得べき者の範囲を明確に定めており、遺言執行者が受遺者を選定するのに困難はなく、その選定は遺言者の意思と乖離するおそれはないと判示している。

しかし、前述したごとく、証拠を仔細に検討すると、亡淳が本件遺言書作成当時、遺産を国や地方公共団体に包括遺贈する意思があったと認定することには甚だ問題でありむしろ、その逆と認めざるを得ないのである。

また、「公共」を国、地方公共団体とすることが、亡淳の真意に添うものであるかについては、甲第12号証の2の遺言書と対比してみても、甚だ疑わしいのである。

仮りに、原判決のごとく解釈したとしても、地方公共団体は数多くあり、遺言者が、どの団体を意図していたか、その手がゝりさえもない以上、遺言執行者が遺言者の意思とは全く別の団体を選定するおそれも十分にある。

以上述べたごとく、本件遺言書は、遺言者の意思を確定し難いのであるから、このような場合、遺言の趣旨は不明確であるとして、無効であるとすべきである。しかるに、これに反した判断をした原判決には重大な事実誤認か、然らざれば、法律の解釈適用を誤った違法があり、また、審理不尽の違法があるものといわざるを得ず、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

三 原判決には、判例違反の違法がある。

本件遺言書の「全部を公共に寄与する。」の条項の解釈にあたって、受遺者を国、地方公共団体に限定して解釈することは、遺言書の「公共」の解釈からしても、また、前述したごとく甲第12号証の2からしても、亡淳が日本赤十字社を念頭に置いていたことを伺い知ることが出来るのであるから原判決の解釈は誤っている。

「公共」とは、公共性を有する団体を意味するとも解し得る。この場合、受遺者の選定を遺言執行者に一任したものと解するなら、遺言執行者は如何なる標準に従ってこれを選定するのであろうか。受遺者の範囲は極めて広範囲にわたっており、遺言書に依拠すべき事項が示されない限り、その実現は極めて困難である。選定如何によっては、亡淳の意思と乖離するおそれなきを得ないのである。

受遺者の範囲を仮りに原判決のごとく限定して解釈したとしても、それは同様である。国にすべきか、地方公共団体のうち、具体的にどの団体を選定すべきか、依拠すべき標準がない限り、遺言者の意思に合致した受遺者を決定することは困難である。

まして、亡淳の遺言執行者は被上告人の他に訴外河合明雄がおり、両名の意見相反する場合において、これを如何に決定すべしというのであろうか。

受遺者が誰であるかは遺言者が決すべきことであり、遺言執行者に受遺者の決定を委託することは、遺言の代理を許すのと異ならないのであって、法の許容しないところである。

原判決のごとく仮りに受遺者の範囲を限定しても、受遺者の選定について依拠すべき標準が遺言書に示されていない場合には、二者択一と違って、数多くの中から具体的受遺者を確定しなければならず、その術がないのであるから受遺者の選定といっても、受遺者を決定することゝ何等変りはないのであって代理を是認したと同一に帰するのである。

遺言執行者といえども遺言者の意思が正確でないという理由で、遺言の内容や範囲を遺言執行者の意思で恣意的に決することは許されないのである。

本件遺言は、受遺者の特定が主要な部分であり、これを決するに2名の遺言執行者が問題なく意思の一致をみて確定すべき術のないものであるから法律上、当然無効といわざるをえない。このことは「寄与する」の内容の実現においても同様である。如何なる手段・方法に依り公共に寄与する意思なのか遺言者の意思は全く不明である。

かかる法理は、大審院昭和14年10月13日(民集18巻17号1137頁)の示すところである。原判決は、右判例の法理は本件事案に適切なものではないとして排斥しているが、かかる判断は右判例に違反するものであって、これらの点からも原判決は破棄を免れない。

以上

(添付書類省略)

〔参考1〕 二審(東京高 昭62(ネ)76号 昭和62.10.29判決)<省略>

〔参考2〕 一審(東京地 昭61年(ワ)第5608号、5964号 昭61.12.17判決)<省略>

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